走ることについて考えるときに私が思うこと(村上春樹風)

2020年10月8日木曜日

雑記

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この投稿内容は2020/10/08 23:35時点の情報です。

走らない人から走る人に対してなされるであろう想定質問。なぜお金をかけてまでマラソンなどのイベントに出るのか。

私は走り始めてから体調がすこぶる良く、よほどのことがないかぎり風邪をひくことなんかないだろうという、根拠のない自信を持つようになった。つまり、風邪ひきのときに近所の内科に支払う診療代を、イベント参加料にまわすことができる、ということだ。要は、参加費を健康代だと思えばよい。

でも、走っていなかったころは、風邪をひいたぐらいで近所の病院に行ってたっけ?そんな記憶はほとんどない。家でじっと寝ていただけだ。というわけで、診療代を参加費に充てるという考えは私の場合あてはまらない。

「参加費は健康代」と言ったが、走ることを継続するために参加費を払う、と考えることもできる。COVID-19禍を経験して分かったが、イベントのキャンセルが続くと練習量が減る。開催されそうなイベントがぼちぼち現れてくると、ぼちぼち練習しだす。練習量を維持するために、つまり健康を維持するために参加費を払っている。という考えが私にとって良さそうだ。

某スポーツクラブの月額料金がこれ。

出典:https://www.konami.com/sportsclub/riyo/plan.php

週2で最も簡素な施設(カテゴリI)を使うとすると7810円。仮に5000円ぐらいがスポーツクラブの施設料やら人件費やらに費やされるとすると、自分自身の健康維持代が2810円ぐらい。年間で2810*12=33720円。これはウルトラマラソン1回(16000円*1)プラス平均的な大会3回(6000*3)の、計4回のイベントに参加するぐらいの費用に相当する。参加費にせよクラブ代にせよ、お金を払ったからには運動しないと、という意思がはたらくのは同じなので、両者とも似た値段になるということか。


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