大学・大学院はどんなところ?

2021年3月21日日曜日

雑記

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大学院がどんな所なのかは、一般の人々に知られてないと思いますので、大学・大学院の違いを含め、勉強内容の観点からどのようなところなのか説明したいと思います。

大学を卒業すると、「学士」という学位をもらえます。みなさんご存知の通り4年間の勉強が必要です。一方、大学院は修士課程と博士課程があり、その名の通り、修士課程を終了すると「修士」の学位を、博士課程では「博士」の学位をもらえます。修士は2年間の勉強(研究)が必要です。博士は最低3年間の勉強(研究)が必要です。

大学の卒業までは、部門の区分けの単位が「学部」です。例えば、「○○大学文学部」「○○大学工学部」など。一方、大学院では、部門区分けの単位が「研究科」です。例えば、「○○大学大学院 情報科学研究科」「「○○大学大学院 人文社会系研究科」」など。

大学では、基本的に勉強は自主的にします。規定の単位数を取得すれば卒業できます。単位とは1つの学期に1つの授業を受けて得られるもので、例えば90分授業を15週受講すると一単位もらえます。

勉強を自主的にすると言っても、勉強内容に例外が2個あり、1つ目が必修科目、2つ目が卒業論文です。必修科目は、自分の所属する学部が決めている、受講すべき科目です。もうひとつの卒業論文について。私がいた東大文学部では、各自が勝手にテーマを決めていました。文系では学部4年生を放置する傾向があると思います。論文調の文章の書き方だけ押さえとけばいいので。別の時期にいた東大情報理工学系研究科では、学部4年生が研究室に1年間配属され、先輩の大学院生が卒業論文のサポートにまわっていました。理系では実験をもとに論文を仕上げることが多いです。実験器具とかコンピュータツールの使用方法がわかってないと話にならないので、サポートする人たちが周りに必要です。理系では学部4年生は放置されない傾向があると思います。

修士課程からの勉強行為は、勉強するというより「研究」する、という言い方に変わります。研究とは、自分のオリジナルな考えを生み出すとか、まだ誰にも解かれていない問題の解決を試みることを指します。ただ、修士課程1年生からそんなことを自主的にできる人はほぼ皆無です。上司から指示を受ける社会人1年生と同様で、指導教官や先輩から「これこれを君の研究対象にしようと思うんだけどどう?」のような指示を受けて研究を進めることが多いです。

修士生の生活は、サークルやらアルバイトやらに明け暮れる大学生生活の延長というわけではありません。社会人並みに稼働時間を研究に割り当てるべし、という暗黙の了解があります。何時から何時まで登校しなさい、という拘束は全く無いですが、だいたい皆、一日4時間〜12時間ぐらい研究に使っていると思います。

大学生がやることは「授業を受けて既存の知識を勉強する」ことがメインですが、修士課程でやることは、世の中に役立つ事柄の源泉となっているイメージですね。特に工学の分野では世の中の人々に直接役立つ事柄を研究対象とするべし、という暗黙の前提があります。

修士生は、研究以外にも、決められた単位を取得するために授業をうける必要があります。授業の課題も、(私のいた奈良先端科学技術大学院大学では)山盛りでした。また、研究室内の修士1年生数名がが集まって特定の本を輪読することも週2度やりました。私のいた研究室の場合、言語理論関係の英語の本が週1回、数学関係の日本語の本が週1回でした。私の経験では、修士の学生生活を送ることの大変さは、大学生のときの3〜4倍ぐらいに感じました。(研究分野や大学院によって変わってくると思います。)

博士課程は、前述の「自分のオリジナルな考えを生み出すとか、まだ誰にも解かれていない問題の解決を試みる」を実行する段階になります。自分の実力はもちろんのこと、周りの同僚や近しい研究をしている人とのコミュニケーション能力、地位のある人たちとのコネを作る能力なども必要になります。基本的には自分一人で研究をやり遂げなければいけません。

卒業論文と修士論文は参加賞的(卒論は軽い参加賞、修論はちょっと重い参加賞)ですが、博士論文を書く人は相当なプレッシャーを受けて書いています。奈良先端大と東大情報理工学系研究科で博士課程の人を周りに何人も見てきた経験からそう言えます。博士は取得できない人が続出します。私も博士課程中退です。博士は参加賞では全くないのですね。周りに博士がいたら、ぜひ敬ってあげてください。



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